今後の教育について

2017/ 08/ 01
                 
家庭環境と教育レベルの話を夜に書こうと思いまして、前提としての投稿です。
いわゆる一つの基調講演ってやつですね。

今社会で行われている各種教育には、
論理的思考を身につけさせ、社会に適応させる人間を育成する
こんな建前がまあありますよね。

でも環境がこれだけ変わっている中で、社会への適応を学校で教えるのには無理があるのではないかと
最近つくづく思っています。

私は小学2年の時に初めてパソコンを触り、中学でNiftyにちょっと手を出し、
以降なんやかんやとネットを見てきましたが、
私が子供のころの学校環境では、これらの機材をいじくりまわすのはマニアだけで、
むしろ気持ち悪い、って判断がされていました。
今とは本当に大違いですよね。
当時の教育の延長線では今の情報化社会に適応できませんし、
現に取り残されている人間が多数存在するわけです。

他方、ネット界隈あたりでガンガン叩かれているゆとり教育って話がありますが、
あれは情報社会にはある程度適応性の高いものだったりします。
一応方向性としてはリテラシーを高め、情報の取捨選択ができるようにする、という狙いが垣間見えます。
わかりやすい例は総合的な学習の時間ですね。
あの手法は教員のレベルへの依存が高いものの、効果的なリテラシー教育としては意味があると私は考えています。
ただ、情報を取捨選択しながら拾う、って動きをしているだけでは作る側、与える側に回れないですし、
実は教育現場が頑張っても言うほど自分で考える力、「生きる力」が見につくわけではない、ってのが個人的な意見です。
その辺の背景(や政治的な理由)もあって、また脱ゆとりになってきているのでしょうが。

最近いろいろ考えてるのですが、社会に出てからの40年間(俺らの世代だと恐らくそれ以上)を食いつなげるスキルを
学校で身に着ける、ってのはすでに無理が出ていて、何をどうやっても穴があくと思います。
多分俺らが今触ってる技術にしてもすぐ陳腐化するでしょうし、
今はVRとかAIとかそっちが伸びてきていますが、結果として10年後の私たちの仕事にダイレクトに影響が出る可能性もあります。
その時にまた違う技術が出てきて、ってループがどんどん発生していって、
仕事にもだいぶ影響が出るかと考えています。

技術の話をすると、実は学習、教育でいうと、モチベーションの維持までAI化されつつあったりします。
例えば、まばたきの回数、視線の移動やらをトレースして解析する、って話はすでに出てたりもしますね。
(ソースが見当たらないのですが、昨年のIT教育ソリューションで出展されていました。わかる方が居たら教えてください。)
教育者すら要らない未来も見えてきてるわけですね、すでに。

私は専攻の話もあり、教育に割と興味関心もありアンテナも立てているつもりなのですが、
最近本当にルールがガンガン変わっていて今後が楽しみでもあり、怖くもあります。

個人的にはうつろいゆくこの世の中だからこそ、家庭教育が一番重要になってくる、って考えているのですが、
社会に余裕がなくなっており、共働きしかいないような状況でどう実現するんだろうなーとも思っています。
家庭で仕事ができるようにする、ってのも解決策だとも思いますが、家でまで仕事したくないんだよなー。。。


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コメント

        

日本のミドル層以下の教育は、今も昔も基本的に”不条理に対する耐性をつけさせること”じゃないですかね。
>通りすがり
おっしゃる通りで、記事のネタを先に書かれてしまった感があります。
わざとやってるかはわからないのだけども、群衆コントロールされやすいように教育されていますよね。