反差別と観測範囲とヒカキンの話。

2017/ 08/ 21
                 
誰にも殴られない表現ってのを突き詰めたらどうなるのか、って話。
昨日ヒカル氏の話をちょっと書いててあれこれ思うことがあったので、記事にしてみます。

ポリコレってオタクを守ってくれたこと何かありましたっけ? - Togatter

この記事を書くきっかけが、昨日湧いていたこのまとめを見て思ったことなのですが、
表現の自由!とか反差別が!って言って他人に殴りかかってる人たちって、
自分とスタンスが違う人への理解が非常に薄いって傾向は確かにありますよね。
って話はこのまとめを取り出すまでもなく散々既出なのですが

この話ってもう一歩踏み出したら面白くて、
この手の人を殴ってる人間にもまたそれはそれで相手の意見の背景を理解しようとしていない人が居るのですよね。
あ、このまとめに出ている人は割とバランス取れてると私は考えますが。

根っこを言うと、「何をもって差別とみなすのか」って情報が完全に主観だってのはあるのだけど、
色々なスタンスの人たちの距離が近くなったり、多様性が出てきているのは間違いなくあると思いますね。

日本は普通に暮らしている分にはあれこれ言葉尻を捉えられず、過ごしやすい国だと私は考えています。
ただよくよく考えると状況が昔と間違いなく変わっていますよね。
例えば私が子供のころの話をすると、日本人じゃない人って珍しかったんですよね。
私も黒人見たらサインもらいに行ってましたwww
みんな夜になると流行りのドラマを見て、一軒家を買うのが目標で、みたいな割とステレオタイプな環境でしたよね。

当時はバブルがはじけていなかったので、「普通」にやっていたら「普通」に暮らせる、
っていう神話がまだありましたから、多様性もくそもなかったのですが、
ネットが浸透するのと同じくらいのタイミングで、この辺が状況変わってきていますよね。
オタク差別も今の子供たちには私の世代ほどなかったりします。

で、多様性が広がるのと同時に起きていることとして、隣のクラスタが見えていない問題が発生しています。
まあ人間の処理能力なんて相当鍛えても限界があるので、特に主義主張に関しては理解ができないですからね。
理解しなくても許容すればいいのですが、視野に入れない動きをする人が多いんですよね。
この辺、Ingress界隈でも割と似たことが起こっていて、相変わらず社会の縮図だなーって考えます。

時々書いていますが面白い話としては、
FacebookもG+もTwitterも相容れない意見が表示させづらい仕組みになってるのもあるんですよね。
この結果として、自分が多数派であるような錯覚を持ってしまう危険もあるんじゃないか、って私は考えています。

とりとめがなくなってきたけども、一言でまとめると、バランスの問題なのかな、って私は考えています。
万人を納得させることは超難しいですしね。

と、つらつらと書きましたが、
この辺うまくやってるなっていうのはヒカキン氏見ていると思いまして、
面白いかどうかはおいといて、本当にニュートラルなんですよね。
徹頭徹尾誰にも攻撃されない表現ってのを貫いていますよね。
笑いの質が子供向け(レベルが低いとは言ってない)なのもあるのですが、
全体的に思想のバランスがいいなーって見ていてすごく思います。
頭いいんでしょうね。

こういう人が出てくるのも、ネットが無かったらあり得なかったと思います。
確実に世間のレールから外れてますし、埋もれていた可能性が大きいですからね。
そういう意味では楽しい世の中になってるかな、って思います。

私もネットでもゴミですがリアルだとそれ以上なので、もう少しお金を稼げるように
ヒカキン氏に倣って、は芸風が違うので難しいですが、とりあえずちったあ頑張りたいと思います。
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