インターネットの普及で、失敗が許されなくなっている話。

2018/ 01/ 14
                 
ここんところおちゅーんもびっくりの炎上ウォッチをしつつ、
忙しいのと、東北の寒さにやられて若干鬱気味なのとで、全然拾えてはいないのですが。

僕がインターネットに触ったのは、BF1942がピーク過ぎたころの2002年ごろで、
当時はFPSにはまったり、そのあとチョンゲに足を踏み入れたりしたり

(以下100行省略)


何にせよ、当時コミュ障オタクを拗らせまくったインキャ丸出しだった自分としては、
似たような人がいっぱいいるインターネットってのは新鮮で、かつ知識が豊富に手に入る場所で、端的に楽しい場所でした。


これが世間にも広まったらもっと楽しくなりそうだなーと思いながら、今と変わらず害をやってたわけです。

んで、15年かけてインターネットはだいぶ変わってきていて、
僕の観測範囲だと、mixi→顔本→Twitterと、だんだん入ってくる人間が増えてきているわけですね。
ここまでは理想通りだったわけです。


インターネットの普及で、確かに色々便利なこと、知れることは増えてきたんですよね。

確かにマスゴミのウソは見破られやすくなりました。
政治をどや顔で語るミュージシャンが何も分かってないことも衆目に晒されるようになりました。
犯罪者はどこに行っても逃げられず、付近の人間に危害を与えられなくなりました。
他ジャンルに安易に口をだす声がでかいだけの識者()への風あたりもきつくなりました。
企業の不祥事も知られるようになり、コンプライアンスが高まりました。


この話、単体で見るといいことなんだけど、これをつき詰めていいのか、ってのが最近すごい疑問でして。

確かにね、失敗しちゃいけない話ってのはあるわけですよ。
んでもね、未成年飲酒やら、イキリヲタがコンビニの冷凍庫に寝っ転がっていたくらいで
人生が終わっちゃうくらいおいこんじゃうのはどうだったんだろうなー。って思うわけです。
僕もちょっと拡散してた気もするから、自戒も込めてですね。

そういう他人への正義の立場からの攻撃ってのが行き過ぎた結果として、
トレンドブログで犯罪者をぼこぼこにする、って流れができてますよね。
あれもブログの経営してるアフィリエイターを殴る流れにまたなってるけど、
本質的にはそんなもんに需要が存在してるのが問題ですからね。

知る権利ってのがどこまであるんだろうなーとか、
殴られる基準と殴られない基準はどこが違いなのかな、とか
最近ずっと考えていて悩み気味です。


更にね、この話をもっと詰めていったときに、「何もしないのが最適解」って話になっちゃうんですよね。
適当な会社に就職して、会社のなかの席次だけを考えてマイクロに生きて、何も作らずに人生を送って、
若者から年金を搾取して死んでる団塊世代と本質的に同じわけですね。
インターネットで最も殴られるところと同じことをやっていると。

でね、そしてこれをやることでチャレンジをする芽も潰すことになるんですよね。
成功するために必要なものが知性とか発想じゃなくて、面の皮の厚さに依存してしまうわけです。
わしだって文章上手いからブログ続けてるわけじゃないですからね。
単に面の皮が厚いだけですよ。

世の中のメタが変わってきてるのに、こんなことを続けていたらそりゃ世界に置いていかれちゃいますよね。

私もいい加減歳なので、殴る側に回らないように、ってのもそうだし、
守りに入らないように、もっと頑張らなきゃって最近考えてるので、こんな記事を書いてみました。
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コメント

        

線引が曖昧であるにもかかわらず、各々が自身の線引(大抵は周りへの同調)を勝手に引き、これが絶対だとしてしまい、集団で殴りかかるという図式はいい加減ウンザリしますよね。
ほんそれですね