機械仕掛けの神様とご都合主義

2017/ 10/ 27
                 
私が楽観的な理由みたいなものを、根底まで見つめて考えてみた。

短期的には悲観的、長期的には楽観的になれ、みたいな話を結構ビジネス本とかでみることがあり、
私個人的にもこの考え方には賛成。
日ごろの危機察知はとても大事なんだけど、
長い目で見るとちゃんと何とかなるので、考える過ぎる必要もないなーって思ってまして。

先日書いた、宗教案件みたいな話は根本的にダメなんですが、
他の話は危険予測をしたうえで割となんとかなるや!で走っちゃうところがありますね。


その話を詰めて考えたときに出てくるのが
Deus Ex Machina
「機械から産まれる神様」ってやつですね。

ギリシャ演劇で、悲劇の最後にマシンから神様役が降りてきて、
なんとかしてくれる、っていうやつ。


結構当時も非難ごうごうだったらしいですが、今でもドラマやらアニメやらでこの手法ってちょいちょい使われますよね。
「お約束」ってやつで。

メジャーなところでいうとドラえもんとかがちっと近いかな。
道具が話のコアでもあり、処罰者でもあり、デウスエクスマキナでもあり、ってのは
割と手法としては面白いですよね。

日本の芸能でいうと「狂言回し」が近い話なのかな。



話を戻すと、僕は
「結局収まるところに収まる」
「やった分くらいはなんだかんだで返ってくる」
「世の中バランスが取れるようにできている」


って結局思っています。


別にいろいろ楽観視しているわけでもないのだけど、
どこかでプラマイゼロになる、って思っていますね。

これで私が幸福すぎていたらあとで揺り戻しがくるって話ですが、
私は人に恵まれまくってるのはあるものの、お金もないし、家庭もないし、
割と根無し草なところがありますので、まあ返ってくるほうがでかいでしょう。


ゲーム内も所詮は一個の社会だから、割とこの話って通じるものがあって
なんだかんだで話が収まるところにおさまるんじゃないかな、って思っています。


というわけではよ結婚できるといいな(そこ)

結婚に関して言うと、最近つくづく思うのが、結婚できるように動いてねえな、って話なので、
ここも割と収まるところに収まってる感はありますね、
これは動きを私がしっかり変えないといかんし、
色々なものと向き合う必要もあるんでしょう。


とまあ、そんな都合の良い話でもないんですが、やった分は返ってくると思うので、
もう少し各方面いろいろ頑張りたいものです。
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コメント

        

やった分だけ返ってくる、というのは個人的には完全に同意です。
それゆえにめめたんどれだけ不幸であっても「バランス」とやらで勝手に補填されることはないし、結局どれだけ動いたかによると思います。
親御さん話のような、自身で選択したわけではない環境の優劣は当然存在すると思いますが(何が優で何が劣なのかは個人の主観なのでここでは避けます)、そこから何をどれだけしたかが、直接的に、あるいは間接的に結果として残るだけだと僕は思います。

僕はめめたんのことをほとんど知りませんが、この数日たまたまブログの記事やG+やらナニやらでの発言を見させてもらう機会があり、おおよそ人より苦労する環境にあるなと思いました。そして、そんななかで自身で動くべきと判断したところは、傷を負うとわかっていても全力で動く人なんだな、というのも何となく理解しましたので、別にめめたんが労せずして何かを得ようとしているとは思っていません。ここは誤解無きよう。
めめたんのペースでめめたんなりに動いていけば、それ相応の結果が返ってくるはずなので、今後も頑張ってください、というのが最終的に言いたかったことです。駄文すみませんでした。
いえいえ、ありがとうございます。
結構心に響いてますよ!

確かに風車にツッコんでいくようなところはありますね。
良かれ悪かれ(どっちの側面もあると思います)

そもそも論として、何が良くて何が悪いのか、ってところから私はあんまりよく分かってない(これも生育環境問題が大きい)のですが、頑張ってはみたいと思います。